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15件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1967-07-18 第55回国会 参議院 外務委員会 第19号

政府委員北原秀雄君) こういう問題につきましては、結局、当事者、鳩山全権、フルシチョフ全権、ともにおられないわけでございますが、グロムイコ外相はいまだ健在でございます。この問題を話しますときには、確かに彼は、いま森委員のおっしゃいましたとおり、ソ連側のたてまえを、意向を気にしつつ、意識してしゃべってるように私どもは理解しております。

北原秀雄

1966-02-25 第51回国会 参議院 農林水産委員会 第7号

それから、すでに三十一年の第一回の鳩山全権時代のことに端を発しておるわけですが、大体昨年まで九回の交渉を重ねておるわけですが、それでいきなりモスコーに代表団が行かれて、そこで双方から議題を提供し合う、あるいはいきなり交渉に入る、そういう方式なんですか、それとも事前に二国間で双方とも今回はこうこうを考えるとか、こうこうを望みたいというような情報の交換あるいはまた議題の提供、そういうものはしていないのですか

森中守義

1961-10-16 第39回国会 参議院 予算委員会 第4号

こういうふうに述べ、これに対して自民党砂田重政氏は、無条件にこの鳩山全権初め各全権言明を信頼してこれに賛成すると述べております。また、社会党松本七郎氏その他のこれは賛成がありました。両院で考えますというと、自民党を初めとして社会党、共産党その他の会派がこれに全く賛成をして、政府国会意思は全く決定されたのです。

岩間正男

1957-04-10 第26回国会 衆議院 決算委員会 第23号

ごまかすといっては語弊がありますけれども庁費として予備費を出す場合には、一体何のために使ったやら——ほんとう重光全権等二十一名の使用に該当しないものに使ったものもあるのではないだろうか、鳩山全権以下二十三名が使用しないものも含むことになるのじゃないだろうか、庁費の場合そういうすきなり、そういう可能があるのではないだろうか、そういうふうになるのじゃないだろうかと思う。

吉田賢一

1957-04-10 第26回国会 衆議院 決算委員会 第23号

それから同じく三十一年の十月六日より十一月一日に至りまするまで、鳩山全権などが随員合せまして計二十三名。前の重光さんの場合には計二十一名ですか、この鳩山全権などの場合には、六千四百四万三千円を予備費使用されておるのであります。もっとも鳩山全権の場合は、目下精算中というので、若干数字に移動を生ずるかもわからぬ見込み、こういうただし書きがついております。

吉田賢一

1957-03-11 第26回国会 参議院 予算委員会 第7号

○国務大臣(岸信介君) お話の通り、未帰還者の問題は、私、最も御同情申し上げている問題でありまして、日ソ国交正常化によりまして、マリク名簿の大部分の人が帰られたのでありますけれども、なお、その一部は残っておる、また、それ以外にソ連で消息不明になっている者が一万名以上ある、この問題につきましては、日ソ交渉の際におきましても特に鳩山全権は重大な問題として取り上げて、わかっている者はすぐ帰すのみならず、消息不明

岸信介

1956-11-29 第25回国会 参議院 外務委員会 第6号

それから私は、日本側といたしましてこの日ソ交渉開始前、少くとも鳩山全権が御出発になりまするその前に、日本領土に関する主張をもっとはっきりさせるためには、場合によっては臨時国会等を開いても、その意思の決定を国会において行なっておく必要があったのではないか。前の国会決議と相照し合せまして実はそのように考えるのでありますが、この点について御見解を伺いたいのでございます。  

西田信一

1956-11-29 第25回国会 参議院 外務委員会 第6号

その点におきまして鳩山全権出発前の状況は、このような国家の大事を成就するための国内態勢が十分ではなかったと考えられるのでございます。言葉は適当でないかもしれませんが、やや政府のひとり合点の交渉ではなかったか。国論の統一、国論の高揚、ひいては国際世論の支持を受ける、こういう点において遺憾がなかったかどうか。

西田信一

1956-11-25 第25回国会 衆議院 日ソ共同宣言等特別委員会 第7号

鳩山全権訪ソの際のいわゆる新党議と今度の共同宣言とでは、歯舞色丹については違っていることは明白でありますが、国後択捉については、新党議はわが領土権主張を堅持しつつ継続審議に付するということであったのでございます。これに対して、今度の共同宣言におきましては、国後択捉領土権主張いたしますると、いよいよ歯舞色丹さえも返ってこないということになっておるのであります。

大橋武夫

1956-11-20 第25回国会 衆議院 日ソ共同宣言等特別委員会 第3号

実は、この共同宣言調印をするかどうかということで鳩山全権から東京政府に連絡があって、その際、自民党総務会が開かれて、いろいろこの問題を審議したのでありますが、この領土問題を含むという字句は何かおかしいじやないか、やはり領土問題を含むという字句を入れるようにということで、総務会全体の意見として、モスクワ鳩山全権に電報を打ったわけであります。

北澤直吉

1956-11-20 第25回国会 衆議院 日ソ共同宣言等特別委員会 第3号

それから、鳩山全権モスクワお立ちになる前に、新しい党議をきめて、これが日本側ソ連に対する最低の線であるということで、鳩山全権出発の際一の談話によりましても、どこまでも党議の線によってこれをやる、領土については絶対に譲歩上ない、こういうふうな談話を発表されて、日本お立ちになったわけであります。

北澤直吉

1956-11-17 第25回国会 衆議院 本会議 第4号

また、このたびの鳩山全権も同様であったようであります。なぜ一体この交渉をされなかったのでありましょうか。おそらく、政府は、アメリカとの安保条約に、たといそでにでも触れることを恐怖しておられる。そのことがすなわち実は保守党政治的限界であると思うのでありますが、その保守党政治的限界のために、このような有利な政治交渉ができなかったと、われわれは断ぜざるを得ないのでございます。

穗積七郎

1956-11-06 第24回国会 衆議院 議院運営委員会 第65号

それから条約といたしましては、この五月に河野全権が参りました際に協定いたしました、日ソ間の北西太平洋の公海における漁業に関する条約、それから海上において遭難した人の救助のための協力に関する日ソ間の協定、この二つ、それから今回鳩山全権が参りまして調印いたしました日ソ共同宣言、それからいま一つは、日ソ間の貿易の発展及び最恵国待遇の相互許与に関する議定書、この四つが提案されるのでございます。

田中榮一

1956-10-29 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第21号

どもが帰京いたしまして間もなく、訪ソ鳩山全権らによって国交回復抑留者送還の問題の解決もおおむねついたようであります。引揚げ促進の問題は、この日ソ交渉妥結を契機として、著しくその形が変ってくると考えられますが、今後の活動は、マリク名簿登載漏れの同胞の上に注がるべきであり・その意味において先般の当委員会帰還促進決議を行なっておるわけであります。

木村文男

1956-10-29 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第21号

しかし、当時、ちょうど鳩山全権モスクワに着いたという報告がラジオでありましたので、みんなの顔が非常に明るくなり、何かしら非常に強い喜びと希望を持ったので、送る者も送られる者も、従来と違った気持で送り送られてきました。と同時に、ソ連側当局としても、従来より以上に、何かしら非常に好意を持って、われわれを送ってくれたという感じがいたしました。

高橋晩成

1956-10-10 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第20号

どもは、ここにおきまして、この人道上の重大なる問題であります引き揚げの問題につきまして、わが鳩山全権初め、全全権団に、重大なる決意の上に立って、この問題についての交渉をしていただくために、この際、私は、全権団あてに当委員会が次の決議をいたしまして、留守家族の要求にこたえ、また日本民族全部の国民的な感情の上に、今盛り上っておりますこの問題に対して、最も良果をおさめるべく、ここに決議をいたしまして、これを

木村文男

1956-10-10 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第20号

承知のように、短時日の間にもしもそういう場合があった場合にはというような、一つの問題をかりに申しただけでありまして、鳩山全権が、御承知のように悲壮な、一死もって交渉に当っているのでございまして、今回の問題こそ慎重に慎重を重ねて、松本全権を先行させまして、よくその間の事情もやらしているのであります。

森下國雄

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